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2009年5月25日 (月)

栄養のとりすぎ

身体のどこかに腫れ物ができるとか、
女性の更年期によくある、子宮筋腫や卵巣脳腫などの病気は、
栄養の取りすぎが原因のことがよくあるというのは、
最近ではよく言われています。

空腹じゃないのに食べる、時間だから食べるといった、
身体の感覚を無視した習慣は結構恐ろしいもので、
時代的な洗脳のひとつだとも言えると思いますが、
感情と知性というのは、こういった洗脳にみごとにやられます。

栄養を取らないと恐ろしい病気になるぞ、と感情を脅して、
一日30品目の食品を食べろだとか、
栄養学的な観点や医学的な方面から理論的に言われてしまえば、
勉強のできる人ほど、いっぱつで引っかかってしまう。

身体はおきざり。

知性はまだ、
人間の身体や感情の発達に追いついていないと私は思っているのですが、
勉強、勉強などといって
外からの情報ばかりを身体に取り込んでいると、
どんどん身体がおかしくなって、頭もわるくなります。
知識ばかりが詰まっている人と話をしても、少しも楽しくない。

トマトの何とかという成分が老化防止にいいだとか、
肉は血を汚すだとか、納豆を毎日食べろだとか、
外の情報を無視しろというわけではないですが、
たとえ毎日同じものを食べる日が何日も続いたとしても、
自分の身体が欲するものを素直に取り入れていけば、
たいてい健康でいられるはずなのです。

内なる声に耳を傾けて、などというと、
何だか気持ち悪い瞑想集団を想像してしまうこともありますが、
これはやっぱりとても大切なことで、
ためしに動物みたいに、四足で歩いてみるとか、
あーだとか、うーだとかしか言わないで
人と会話してみると、身体の出番が来ておもしろいとも思う。

占いも同じで、
あまり知識を頭に入れすぎると、脳みそが化膿してしまうので、
その人自身を見ることを忘れないようにしてほしいです。














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2009年5月22日 (金)

誰が言うか?

「何を言うか、ではなく、誰が言うか」

例えば、隣りのおばさんに、
毎日軽い運動をしろって言われても少しも耳に入らないのに、

尊敬している人が言うと、いっぱつでからだに刻まれ、やろうと思う。

何故こんな事を書くかというと、

人が耳を傾けてくれるような人物になろう!
そういった説得力のある人間になるために、
日々、精進を重ねよう・・・・、

と言いたいのではなく、

そのぐらい、毎日の生活でお知らせがあるはずなのに、

気がつかないでいる、ということなのです。



「誰が言うか」、

なんて領域からはなるべくはやく自由にならないと、

何かに気がつくのに時間がかかってしょうがない。

しかし、発する言葉のエネルギーが違うのは確かにあるだろう。

進化を求める人は、

自分よりも高い波動ばかりに焦点をあわせがちだが、

今、そこにも、進化の材料はうごめいている。

これは、自分に向けて書いているともいえる。

意識を限定しないで素直に開いていきたいと思うのです。






















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2009年5月20日 (水)

自分勝手

会社が面白くないな、と感じている人は、無断欠勤してみたり、
まったく違う業種に転職したり、会社にだまって副業などを始めてみるなど、
(もっと過激でもいいです)ルールを破ってみるといいですし、
家庭が面白くないな、という場合は家出をしてみるといいです。

過激なことをして嫌われたり避難浴びたりするのは、ちょっと・・・と思いますが、
その方が、これまでの自分を脱皮するのに
踏ん切りついたり、未練を残さずにすむなど、
かえって都合がよかったりするのです。


周りがつまらない、
そう思いながら、そこでズルズルと生きていると、
自分もつまらない人間になってしまうのは、どうしても避けられないですから、
自分勝手に生きる癖をみんなつけた方がいいです。

自分勝手に生きると、自分のケツは自分で、
となるので責任感ももつことが出来るようになるし、
周りがみんな自己責任において
好き勝手なことやっているヤツばかりになってくるから、
ちょっとぐらい変なことをしても不思議がられないです。

自由です。
ですから、自分の眠っていた可能性のようなものを、
探り当てやすくもなるのです。

ある程度一人で動けるようになった子供とか、主婦の人なんか、
人目とか、失敗するんじゃないかなんて怖がらないで、
どんどん自分勝手に生きた方が、
それにつられて、世間の縛りを一番受けやすい親や男性も、
勇気を持つことができるようになると思う。

そのほうが変なニュース、減ると思うんだけどな。













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2009年5月19日 (火)

器とは

昨晩、一度カウンセリングをしたことがある女性から電話をいただき、
『彼と別れました』、という報告をもらいました。

この方は、彼と一緒にカップルでお見えになって、
今後の二人の事を相談したいと言ってきたのですが、
どうも二人の間にちぐはぐな風が吹いていて、
「二人で生きていくために相談に来ました!」的な勢いを感じることができず、
ひとまず質問されたことに対してだけ答えて、帰っていただきました。

私としては、どうも二人のバランスが悪いという印象が強く、
後日、相談を持ちかけてきた女性のほうにだけ、

『無理して男性に合わせる必要はない、あなたの自由にやって御覧なさい』、

と言っておいたのです。

この女性のほうは、一言言えばすぐに理解できるようなタイプでしたので、
私の一言が彼女の腹に、すーっと落ちていくのが見えるほどだったのですが、

今回の電話で彼と別れたと聞いて、
おお、ようやく決着がついたかと、
思わず「おめでとう~」と、私は言ってしまいました。

これは彼女に対してだけではなく、
男性に対してもそうなのです。

この二人のアンバランス感は、
女性のほうが自分の人生をドカドカと大またで堂々と歩いているようなタイプで、
男性の方は自分の歩調に自信がなく、
その時々で周りに媚を売りながら歩いてきた、
というような違いからきていたのですが、

結局はこのギャップが社会的な方面でもひずみを生み、
歩調を合わせきれなくなった男性のほうが
正直に生きている女性の迫力に耐えられず、離れていくことになったのです。

こういったすれ違いというのはよくあることなのですが、
ここで勘違いしないで欲しいのは、

彼女と彼には、器の大きさの違いがあったのよ、
といった発想をしてしまいがちなことなのです。
決して、この男性と女性の器の大きさに違いがあった
ということではないのです。

ただ単に、
この女性は自分のもって生まれてきたステージでしっかり生きてこれたけど、
男性のほうは、その自分のステージを認めることができずに来てしまった、
というだけのことなのです。

つまり、例えば社長であろうと従業員であろうと、
今、目の前にある自分の業務を夢中になってこなしていたら、
この社長と従業員の間には、ギャップは生まれないのです。
話は合うのです。
お互いを尊敬しあい、認め合うことができるのです。

社会的な地位や収入やステージの違いではなく、
今、目いっぱい生きているかいないかの違いだけなのです。

もし器という表現を使うとしたら、
それがその人の器を決めることになるのです。

会社の経営者が大きく見えるのは、
今いる環境に全精力をつぎ込んでいるからで、
何の社会性のない子供が砂場で山を作るのに夢中になっている姿を見ると、

『かなわない』、と思ってしまうのも同じことなのです。

その自分のもてる力をすべて出し尽くしているかどうかの違いだけなのです。

ですから、何がいいたいのかというと、

アイツは器が大きいから・・・などと、
他人と自分の表面的な部分を比較して腐ってしまうような思いがあるとしたら、
それは、あんたがやることやっていないだけ、なのです。

器の大きい、小さいなんて、ないのです。

やっているか、やっていないかの違いだけなのです。















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2009年5月16日 (土)

犠牲

「犠牲」などという単語は、美しくもなんともないです。

犠牲的精神なんて、必ずその裏側に恨みを持ちます。

誰かの犠牲になることで、誰かが幸せになるなんてことはありません。

誰かの協力で、誰かが幸せになったとしたら、

その人は、犠牲になってあげた、などと思っていません。

愛情のある世界に、犠牲などという単語は存在しないです。












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2009年5月14日 (木)

開き直る

人間には、引きこもってしまう時期とか、
一時も家にじっとしていられない時期など、
自分と日常生活とのバランスがうまく取れなくて、
これでいいのだろうか・・、と不安になってしまう「とき」があるのです。

活動的になっているときのほうがまだいいかも、
と思うかもしれないですが、
あれもこれも手を出して、すべてが中途半端で、
時間や体力や気力やお金の浪費が激しく、
じっくりとひとつのことに取り組めない自分を批難してしまいます。

動きたくない時とか、動きたくて仕方がないときなどというのは、
からだが何かを教えてくれている一つのサインのはずなのですが、
人間の知能というのは、
おそらく体感や感情などの発達にまだ追いついていないのだと
私は思っています。

つまり、体のサインを頭で正確に読み取ることがまだできない、
頭が追いつかないから、
体の訴えを感情がそのまま引き継いで、
落ち込みとか、イライラとか、
恐怖心(成功願望が強い人に多い)などとして頭に働きかけて、
その感情を満足させるように知性が働く、
こんな人が大半だと思うのです。

こうした、からだや感情の動きを、
頭で的確にとらえることができたら、
悩みというの物の形がずいぶん変わると思うのですが、
その手助け方法の一つとして、
今の自分のからだの立ち位置を知るということがあります。

自分は今、どこ行きの何線に乗っていて、次はどこの駅なのか、
あとどのぐらいで次の駅につくのか、
こういった「いま、どこ?」を知るのに
占いは結構役に立つものです。

これがわかれば、みんな降りる準備をしているのに
自分だけ弁当広げてビール飲むことだってできる。

「これでいいのだ!」
と、開き直ることができるのです。

引きこもったりフラフラするのも、
今の自分がどこにいるのかわかると、堂々とやってみることができます。

すると、不思議と今やるべきことが見えてきて
感情のゆれが少なくなります。












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2009年5月 9日 (土)

それでいい

私は、生徒さんたちみんなに、
自分のHPを作るようにすすめています。
が、みんな初めは、口では色々言うのですが、
実際、活字となって自分の言葉を、考えを、脳みそを
人に見られるとなると、途端におよび腰になって、
批評されるのをひどく恐れるのです。

だから、カッコウをつける。
カッコウをつけようとするからすすまない。

例えばこんなのがいいです。気取ってないです。
プロが作ったような見た目のきれいさは、確かにないかもしれないですが、
今の自分の知っている限りの事を一生懸命伝えようとしています。

http://homepage3.nifty.com/kaiun-ichii/

この方は、モト大蔵省出身の50代の主婦の方ですが、
彼女も初めはなかなかHPを更新することができませんでした。

去年、武蔵小山に占いハウスを立ち上げて、
占い師さんを数人やとって占いハウスを経営していたのですが、

なんか、違う・・・

これが彼女のHP更新の妨げになっていたのです。
しかし、何が違うのか、いっこうにわからない、

こんなとき、私にひどく叱られたのです。

何が違うのかは、やってみなければわからない、
時には、恥ずかしい自分をさらけ出さなければ、わからないのです。

あたしゃ、こんだけのもんです、もんくあっか、

こんなところからスタートすると、いいかもね。



















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2009年5月 8日 (金)

清原

『オレは真っ直ぐに歩きたいんや、
それなのに、何でこの人達はよってたかって
捻じ曲げようとするんや』

こんな一説が、もとプロ野球選手の清原が書いた
『男道』という本にあるそうです。

今日、昨日に引き続き、夫婦でお好み焼きパーティーを
(ただ単に、さくらえびをもらい、お好み焼きに入れると一番おいしいよ、
と言われ、昨日お好み焼きをやったらあまり上手にできなかったので、
今日、もう一回トライ。ウチのダンナさんがお好み焼きマイスター。)

やりながら、TVをみていたら、清原が出ていた。

私は、清原ファンです。ずっとずっと昔っから。
だけど、彼がダイヤモンドのピアスをつけたときから、
静観するようになりました。
ファンだから。
あれほど彼に似合わないものはないと思っていた、
とうとう、ここまで落ちたかと、見守るしかないと。

彼は、スター性がもともとあるので、世間は何かと騒ぐかもしれないですが
本当におもしろい人というのは、表に出てこない、絶対に。

これは、どんな世界でも同じです。

ただ、対象物がいるかどうか、これが大きい、

清原の場合、太陽と月のような陰陽の、絶妙な対象物、
桑田がいたんですね。
だから、西武時代の清原は光った。

清原は、つっぱってつっぱって、
ようやく、自分の姿に気づいた(かどうかはまだわからないが)のは、
おそらく桑田が引退してから。

恨みとか執着は、体を蝕み、やがて精神も汚れ、
そんな人にダイヤモンドをさせるとよくわかる、
ここまでダイヤモンドが似合わない人はいなかった。

『自分は間違っていない、真っ直ぐ歩いている』

こう思っているのに道が開けないのなら、
それはおそらく、どこかで勘違いしている。

自分では『義』を通してりるつもりかもしれないが、
それはただ単に己が気持ちいいことをしているにすぎない。

私たち人間というのは、
エゴを取り払い、ある流れにその身をまかせると、
まるで追い風に運ばれるかのように人生がすすむ。

しかし、エゴがそれを邪魔する。

清原というか、いわゆる「男道」というのはエゴの塊にすぎない。

しかし、私は、
このエゴが、
つっぱりが、
たまらなく好きだ。

ある一人の生徒さんがまた、
自分のエゴのために、
4月に大きくジャンプした、

こんな人を私はとことん応援します。











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2009年5月 5日 (火)

やればやるほど楽しくなる

四柱推命は難しいという話をよく聞きますが、
物事というのは、複雑にからみあっているようでいて、
案外その仕組みというのはどんなものでも単純です。

東洋系の占いの場合は、
『陰陽』や『木火土金水』などの
陰陽五行説が常にベースとしてあります。

ですからどんな複雑な理論を目の前にしても、
そのモトとなっている根幹、幹はどこにあるのか?
という事を考えながら読み解いていけば、
必要なものとそうでないものの分別がついてきます。

また、複雑な理論に振り回されず、応用も聞くようになってきます。

表面的な知識をいくら増やしても、
そのモトとなる幹の部分に気づかなければ、
一生、占いにしても、仕事にしても、他人との関係にしても、
その表面的な部分で振り回される人生になるでしょう。

すべての物事を複雑に考えないで、
シンプルにそのままをみることができれば、
私たちに占いは必要なくなりますし、

また占いに依存することがなくなれば、
逆にどんな占いでも自由に使いこなすことができるようになります。

つまり、やればやるほど楽しくなってくるのです。



















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2009年5月 4日 (月)

トーちゃん

Tsukushita2_640 Tsukushita_640

トーちゃん(姉のダンナ)に、
五本指のソックスをプレゼントしたら、
ムズムズするといいながら、
よろこんで?はいていた。

P1020781 P1020745

トーちゃんは、大の日本好きで、
3年に一回ぐらいのペースで日本に遊びに来るのですが、今度は来年の9月ごろ来日を予定しているそうです。

そのときに、北海道にいって、道に迷ったふりをして、

「どこ行きたいんですか?」って、地元の人に聞いてもらって、

「わっかっんない(稚内)」と言いたいのだそうです。

何年か前は、京都の映画村に行って
お侍さんの格好をした役者さんと一緒に写真をとって、

「かたじけない」と、お礼を言ったら、
大爆笑されて、味をしめたらしい。

P1020617 ブレーメンの市営のテレビ局に勤めておりまして、
宿曜経の、宿で言ったら、尾っぽの尾宿(びしゅく)なので、
電気、機械、技術関係はあっていますが、

四柱が戊午(つちのえうま)なので、
いつまでおとなしくサラリーマンやっているだろうか、とも思いますが、
立場的に上司がいないみたいだから、
まあ、何事もなければしばらくは続くでしょう。
戊午(つちのえうま)というのは、よっぽどの事態にならないかぎり、
危機感のようなものを感じないタイプで、なかなか動かない。
どっしりとしていて落ち着いているって言ってしまえばそうなのですが、
身近にいる人は、そこに安心感を覚えるとともに、
早くしろよ、といったイライラを募らせることもあります。
ただ、本人は感じない、というか、気にしないのですね。

サイクル的には、職場の環境に変化が現れる時期に入ってきているので、
この先どうなっていくか、ちょっと楽しみでもあります。
戊午の男性の大半は、
格闘技&バイクが大好きで、みんな間違いなく、かなりのスピード狂。

















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2009年5月 2日 (土)

感動

あまりにも素晴らしい感動をしてしまうと、

しばし、呆然としてしまいます。

今日は、楽しいレッスンができたし、

久しぶりに会ったクライアントさんの元気な姿も見ることが出来た、

四柱推命学習用CDの作成も順調に進み、
(近々、テキストと一緒にお目見えします)

もう、これだけでも、今日も一日、ありがとよー!!!

楽しかったぜー!!

なのですが、

仕事が終わってうちに帰ったら、素晴らしいおくりものが・・・・。

感動というのにも種類があって、

その振動の度合いによって、人の思考を上回るときがあって、

言葉にならない、などというと言う時がありますが、

人間の思考の発達が、まだ感情の発達には追いついていないのかもしれない、

そんな風に思わせるような、うれしい出来事がありました。




















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風がきもちいい

P1020692 ヴェザー川で、船に乗りました。

風がきもちいい。

P1020706P1020701





P1020705P1020698 東京でいうと、
多摩川の、
にこたまのあたりの人口を思いっきり減らした
ようなところを下っていると言えば、
少しは東京の人は想像がつくかもしれませんが、
川っぺりには、でっかい家が沢山たっておりました。

人間に影響を与えるものの順番として、

一番が、環境。
二番が、人間関係。
三番が、食べ物、という理屈を以前聞いたことがありますが、

風がきもちよく流れる環境というのは、
人の思考をスムーズにして、
人間を自然に成熟させるような、
そんな集合的な意識の進化をもたらしてくれるような気がします。

こっからここまでは、おラッチの領土だ、文句あっか?
といった、意識の範囲が自分の家族にとどまっている執着は、
本当に居心地が悪い。

私は、子供のころから、
魚介類の名前をみんなにつけている、
日曜日のテレビマンガが、大の苦手でした。

あのマンガのファンの人も多いと思いますので、
これはあくまでも私の個人的な感覚なのですが、

先日、親戚の人と一緒にお酒を飲む機会があって、
そのときに、
「あの子が長男だから、親の面倒を見るわけでしょう・・・」
「仕方ないよね、長男だから」
と、当たり前のように語るその言葉に、
それで本当にみんなは幸せなのだろうか、

そろそろ、「仕方ないから」とか、
「昔っからそうなっているから」といった感覚を、
見直してみてもいいのではないか、
そんなことを、よく思います。











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